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1行紹介

◆さいとうけいこ / ピアニスト・コンポーザー◆2005年インプロビゼーション奏法の「吟遊ピアノ」による「吟遊コンサート」を立ち上げ2011年11月カワイ表参道「パウゼ」にて11回目の吟遊コンサートを開催しました。「吟遊ピアニスト」として活動中です

自己紹介文

斉藤たら(♀、16才) プロフィール


2001年、春、わたしは迷子になりました。お腹がすいてのども渇いてふらふらでした。あまりふらふらだったので、今まで何処に住んでいたのかも忘れてしまいました。

5月1日朝、ふらふら歩いていると、グレイの猫が斉藤さんのお家から出て来たのに会いました。たみちゃんと呼ばれているその猫は、本当のお家に帰るところのようでした。一日中、わたしは斉藤さんちを見張っていて、たみちゃんは斉藤さんのおばさんと仲がいいのを知りました。

5月2日、花壇の横で昼寝の準備をしていたたみちゃんに「あんた、野良ちゃんだったら斉藤さんちでごはんもらってみたら?」と教えてもらい、夜遅くなってから勝手口に陣取って「ウーウー」鳴きました。

10分間くらい鳴き続けてようやく気がついてくれたのか、勝手口のサッシがやっと開きます。ちょっとこわくなったので逃げちゃいました。でも、やっぱり空腹には勝てないので、もう一度勇気を振り絞って鳴きました。「ウーーーウーーーーウーーーーウーーーーー」、「ウーーーウーーーウーーーーウーーーーウーーーーー」。おばちゃんがサッシを開けるとわたしはどうしても逃げちゃいます。5回も6回もそんなことを繰り返していたらやっと「猫が来たんだ」と気がついてくれたみたいで、「たみちゃん?」とか呼んでます。暗がりでおばちゃんの顔を見つめていたら、わたしがたみちゃんではないことがわかったようです。勝手口の外、小さいお皿にカリカリをのせて出してくれたので、わたしは窓が閉まってからささささっとお皿に駆け寄りカリカリッと食べました。急いで食べたので味はわかりませんでした。食べてしまってからまた隠れました。すると窓を開けておかわりを置いてくれました。また、窓が閉まってから食べました。美味しかったのでもっと食べたくなりました。今度は隠れないで待っていました。窓が開いて家の中に入りました。キッチンの床に置かれたお皿にいっぱい入ったカリカリを食べて、また、おかわりして、お水もいっぱい飲みました。嬉しかったのでおばちゃんの顔をぺろぺろ舐めました。いっぱい舐めてからまた、カリカリをいっぱい食べました。


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カリカリをいっぱい食べて、お水もいっぱい飲んで、おばちゃんの顔をいっぱい舐めてようやく落ち着いたので部屋の中を歩きました。気分が良いので「アッアーーー」と鳴きました。すると、斉藤さんのおじちゃんが仕事から帰ってきました。おじちゃんはたみちゃんとは違う猫が部屋の中で寛いでいるのを見て驚きました。おじちゃんとおばちゃんはわたしのことをたみちゃんの飼い主さんであるBさんちの猫だと思っているようです。三軒隣のBさんちではたくさんの猫を飼っているので、その中の一匹がたみちゃんの真似をして遊びに来ているのだと思っているのです。たみちゃんは斉藤さんちに毎日遊びに来る「通い猫」です。時々、Bさんに内緒でお泊りもします。
結局、その夜は「おうちにお帰り」と言われて外に出されました。さっきまで降っていた小雨もやんだので、わたしはまた寝床を見つけにうろうろ出かけました。


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5月3日、近くの駐車場で一夜を明かし、朝になってから斉藤さんちに行きました。6時ちょうどにたみちゃんがやって来ました。たみちゃんは毎日、朝ごはんを食べにやって来るのです。わたしも一緒に朝ごはんをいただきました。
その日からわたしは「たら」と呼ばれるようになりました。たみちゃんが「実家」に帰るとき、わたしも一緒に外に出されます。わたしは行くところがないので斉藤さんちのベランダとか庭とか勝手口をうろうろしていました。うろうろしたり、屋根から百日紅の木をつたってジャンプしたり、顔が傷だらけの野良猫と喧嘩したりして右前足を擦りむいてしまいました。家の中に入れてもらいたくて、おばちゃんが窓を開けた時はすかさず「メーーメーーメーーメーー」と鳴いて訴えました。わたしがどこにも帰らないのを知っておばちゃんはその日から泊めてくれるようになりました。

おじちゃんとおばちゃんはどうしたものかと思い悩んでいました。たみちゃんはきちんとBさんちに帰るけれど、わたしはずっと寝泊りするようになったからです。1週間ほど過ぎてからBさんちに電話して相談しました。そうしたらBさんはすぐにわたしを見にやって来て「うちにもよく似た猫がいるけれど、この子はうちの子じゃないですよ」と言うので、やっとおじちゃんとおばちゃんは決心したのです。わたしは「斉藤たら」になりました。その日早速、病院に連れて行かれて注射を打たれました。体重は2,2kgでした。年齢(月齢)は7ヶ月ぐらいとされました。蚤の薬をもらいました。猫トイレも買って来てくれました。屋根付きです。2001年、5月の第2日曜でした。


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という訳で、おじちゃんは tarapapa、おばちゃんは taramama になりました。動物のお医者さんに「できるだけ家の中で飼ったほうがいいですよ」と言われたので、わたしは内猫、たみちゃんは外猫ということになりました。そういうことになってもわたしとしては外で遊びたい時もあります。隙を狙って外に飛び出してしまうと taramama は必死になってわたしの後を追いかけ、探しまわりました。また、わたしに飲み薬を飲ませたり目薬を差したりするのが下手なので毎日がてんやわんやでした。
たみちゃんはお家に入れてもらえなくなったので不服そうでした。それでも毎日通ってくるので勝手口の軒下にベッドを作ってもらい、日がな一日過ごしていました。梅雨の時期、たみちゃんがそこで香箱組んだりお昼寝しているのを見て、わたしは何となく申し訳ないなあと思ったものです。

夏になりました。不妊手術も済ませ、わたしの容態も安定してきたので、たみちゃんは時々お泊りするようになりました。真夜中、ゴミ箱をひっくり返したり流しの棚やエアコンの上に跳び乗ってみたりして一緒に楽しく遊びました。たみちゃんとこんなに仲良くなったのに実はお別れの日が近づいていたのです。


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たみちゃんはアメショー混じりの5歳(♀)の別嬪さんで、Bさんにはとても可愛がられていました。けれど、Bさんは不在がちだったし、また、他の猫さんたちと折り合いが悪かったりしたようでほとんど外で暮らしているようなものでした。Bさんが言うには「一匹狼みたいな猫」ちゃんなのだそうです。
そして7月の最後の日曜日、そのBさんちがたくさんの猫共々突然引越ししてしまったのです。その日もたみちゃんはいつものようにやって来て朝ごはんを食べた後、軒上や庭先で寛いでいました。でも、次の日からは二度と現れませんでした。taramama は寂しがりました。taramama とたみちゃんはちょうど1年間のお付き合いだったそうです。その頃から、たみちゃんのことを思い出しては俳句を詠むようになりました。「ピアノのための『猫』」というピアノ曲を作ってたみちゃんに捧げたりもしました。「あんたはたみちゃんが連れて来てくれた猫なのかもしれないねえ」とも言われました。

2003年早春、そのたみちゃんが庭先の窓辺に出現した時はびっくりしました。けれどもよく見るとその猫はたみちゃんにそっくりな雄猫でした。taramama は彼に「たみお」と名付けましたがあまりなつきません。違う名前なのだと思います。彼は taramama よりわたしのことが気になるみたいで時々会いに来ます。


by 斉藤たら (♀、推定生年月日 2000年10月2日)


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