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2008.02.28

猫撫で草紙 その10

<その10>
 

N緑地公園の入り口からは傾斜を利用した遊歩道が敷かれ、春には苺のビニー

ルハウス、夏には茄子やきゅうりやポーチュラカやひまわりと四季折々に変化

する一面の畑を眺められるように、丸太のベンチも設置された一角がある。

Bさん宅はその公園に面した三角屋根の山小屋風佇まいだ。緑地の中の遊歩道

に沿って歩くと、Bさん宅の猫たちがその庭先で思い思いに陣取って日向ぼっこを

している。その中には子猫を三匹産んだばかりの、片目のマダム黒猫も坐ってい

た。


その日もたみちゃんは、私が玄関を出たところを「にゃおわーん」と言って迎えた。

翌日の金曜日、夫と二人で一泊キャンプに行く予定がある。焚き火に必要な枯れ

枝を集めにN緑地に行こうと、自転車の前かごにダンボールの空き箱と軍手を入

れて出発する。猫は後からついて来るとすかさず前かごに跳び乗って、そのまま

ダンボール箱に入ってしまった。入ってしまったが最後なかなか出て来ようともし

ないので、そのままN緑地の公園まで自転車を押して連れて行く。

猫の仕業に一人はしゃぎながらN緑地に入ると、隣のY君が友達二人とチャン

バラごっこをしているのに出くわした。

「たみちゃんがこの中に入ってるよー」

彼らに得意気に話しかけ、枯れ枝のたくさん落ちていそうな場所を物色する。

チャンバラごっこはルール設定が煮詰まってしまったらしく三人は何やら揉め事

の最中だったが、その状況の流れを変えるが如く、

「僕、たみちゃん見てくる!」

と叫んで、Y君が駆け寄って来た。猫は箱から勢い良く跳び出すと、そのまま

何処かへ走り去って行く訳でもなく、その場でお行儀良く『お座り』をした。

たみちゃんはその人懐っこさゆえ近所では有名猫で、もちろんY君とも仲良し

だ。夏休みのある日、道路に寝そべっている猫を何とか自分の家の敷地内に

おびき寄せようと、豆腐のパックに牛乳を注いだのを片手に持ち、もう一方の

手でひらひらと招きながら、かわいい声をよけいかわいくして、

「たみちゃんこっちおいで」

と、何回も呼びかけていたY君。

たみちゃんの頭を撫でようとして、Y君は少し腰を屈める。こちらの枯れ枝拾

い作業はもう始まっていて、拾いながら場所を移動すると猫もついて来てしま

う。撫でようとしても一箇所にじっとしていてくれないのでなかなか上手くい

かない彼に、

「しゃがんでじっとしていれば猫の方から近付いて来るんだよ。

こちらから近付くと恐がって逃げちゃうからね」

と、ここ最近自分自身が学習したことを教えて実践してみる。するとありがた

いことに猫はちゃんと擦り寄って来て、尚且つ膝にすりすりまでしてくれるの

だ。すりすりしてからごろにゃんと寝っ転がる彼女を、Y君はその小さな手で

撫で始めた。それを見て安心し、枯れ枝拾いの場所を再び移動するとまたも

や猫はこちらに来てしまう。人見知りしている幼女のようにまとわりつき、すり

すりを繰り返し、枝を探して移動する私の足元を猫は執拗に付きまとった。

その猫の後を三人の男の子たちがそろそろとついて歩く。彼らの目には『猫使

いのおばさん』に見えたかもしれない。


その日のたみちゃんは、いつまでも飽きることなく私の作業に付き合ってくれ

た。私の傍で忠実な飼い犬のようにお供をした。

暑くもなく寒くもない、紅葉の始まる前の静かな秋の夕暮れだった。


つづく


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@お@ま@け@
明日で2月も終わりです
ということで、コラボニャンカレンダー2月担当のすえこちゃんたら
2ショットだー

Blog_008


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2008.02.25

猫撫で草紙 その9

ただいま「猫マニアッ句」4周年記念特別企画
春季限定エッセイ「猫撫で草紙」お届けしてます
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<その9  2000年秋> 


七年前、東京都に隣接するこの町に引越しして来た。それまでは都内のマン

ション住まいだった。初めて『一軒家』のあるじとなった身に、以前より増量し

た家事は一年中襲ってくる。来る日も来る日も掃除をして、補修をして、修理

を依頼して、古い家とつきあっている。家事というものは気が向いた時にまとめ

てこなせばよいという主義主張であったのだが、それだと何時まで経っても片

付かないことに気がついた。あとからあとから用事や仕事が溢れてくるのに辟

易し、毎日とにかく少しずつでもいいから『家の面倒を見ることにしよう』と観念

する。

この付近は九歳まで住んでいた、いわば土地鑑があるという理由で選んだ

場所でもある。都下の団地住まいだった子供の頃、小学校の授業の中に取り

入れられた、ちょっとした『緑の教室』という郊外散歩で、この辺りを歩いた記憶

に魅かれたのかもしれない。そして、近所の遊び仲間たちとK川まで歩いて

行ってザリガニ捕りをしたことは、自分自身の原風景そのものかもしれない。


学校から帰って近所の友達と遊んでいた時、誰ともなしに「あそこに行こうよ!」

と言い出し、それは顔見知り程度の年上の男の子だったが、彼がリーダーに

なって先頭を歩き、七、八人の小学生集団『緑の教室』放課後隊は出発した。

先生や親には付き添われず子供たちだけで歩き出し、踏切を超えて向こう側に

渡ることでさえわくわくした。踏み切りの向こう側は少し閑散とした茶色がかった

広々とした風景で、道は遠くまで見通せた。あたりには敷地の広い農家が点在

し、それらの敷地はどれもが背の高い生垣で囲まれ、欅の大木を何本も擁して

いた。

舗装されていない砂埃の舞う車道を歩き、広々とした原っぱの次には一面のポ

プラ林が姿を見せる。柔らかい葉をつけたポプラの樹々を右手に緩やかな斜面

を降りて行くと、子供の足でも跨げてしまうそれこそ小さな小川が流れていて、

そこから今来た道を振り返ると傾斜地のいろいろなグラデーションの緑色が目

に入る。そしてもう少し進むと目的地のK川であり、着ている服が濡れるのも気

にもせず、みんなで競い合ってザリガニ探しに没頭した。

夢中になってザリガニを捕らえて、、、

そしてある程度獲物が取れたところでふと不安になる。

団地に比べて極端に人の往来の少ない、遥か遠くの此処まで来てしまったこと

に。

帰り道、濡れた衣服のままで畑や原っぱを延々歩き続け、お腹が空いて、歩く

のにも飽きてきた頃、近眼でも乱視でもなかった両眼に彼方遠く鉄筋コンク

リートのアパート最上階が映り始めると、「帰って来れて良かった」と安堵し

たものだ。緑の草原やザリガニのいる川はまぎれもなく『聖地』であったから、元の

世界に帰れるのかどうか不安だったから。


無事帰って来られた事でポプラ並木の風景は美しく脳裏に焼き付けられた。

傾斜地という地形のポイントもしっかり記憶しているはずだった。

しかしその場所を三十年後にふらりと自転車で訪れてみてもこれがなかなか

発見できない。K川でなくT川に行ったのかもしれない。

小さな魚が泳ぐ小川だったかもしれない『水路跡』は見当がついた。しかし、

そこにはどぶ川を塞ぐようにコンクリのブロックが並べられ、その付近一帯は

何処をどう歩いたか分からないほどに住宅が密集していて、私は記憶の中の

地図と現実の道を彷徨いながらすっかり迷子になってしまう。

そのままの風景に再会できるとはゆめにも思っていなかったが、歩いた道だけ

は残っているはずだと期待していたのが甘かったのか。その後もしばらく

折を見てはふらふらと出かけてみたが、「ああ、この道だ。この場所だ」

と懐かしむような再会は終に無かった。


自宅のすぐ傍の『N緑地』も傾斜地の雑木林である。夏場は林というより鬱蒼

とした森のようになる、帯状に東西に続く緑地帯。昔の風景を探し回って月日

が経つうちに、記憶の中のポプラ林とN緑地が重なってきてしまう。

「そうか。子供の頃、サンクチュアリと崇めた場所に幸運にも再び戻って来ら

れたのかもしれないな」

と、大人になった身勝手さで考える。


まだまだつづく

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2008.02.21

猫撫で草紙 その8

ただいま「猫マニアッ句」4周年記念として春季限定特別企画エッセイ
「猫撫で草紙」連載中です
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<猫撫で草紙 その8>


たみちゃんは毎日通って来て車の下で寝そべっているが、隣の家や向かいの家

の奥さん達にも甘えた声を出している。雨の日以外は必ずやって来て、我が家の

庭だけでなく隣近所の玄関や塀の上でも寛いでいる。

雨の日でも雨がやめばすかさずやって来て、「にゃおわ~ん」と挨拶する。

雲行きが怪しく大雨になりそうな朝に訪れた時は、しきりに家の中に入りたがる。

ポストの上で昼寝をしているところを郵便配達員が配達のついでに頭を撫でたり

すると、「にゃあ」と鳴いて、ちゃんとお礼を言ったりする。

人付き合いの好きな猫なのかもしれない。たまにBさん宅の飼い猫の一匹、

『しろ』と言う名の妹分と連れ添って出歩いていることもあるが、大和撫子のような

顔立ちのしろちゃんに比べると、たみちゃんはいかにも社交的な性格だ。


その年の夏にはシドニーオリンピックが開催された。

田村亮子選手が悲願の金メダルを獲得し、マラソンの高橋尚子選手は三十五キ

ロ付近でサングラスを投げ捨て、見事なスパートを見せて優勝した。

ピアノ弾きとしての私といえば、ライブ活動を休止してから八年もの歳月が流れて

いた。練習や作曲や自宅でのピアノ教師の仕事は続けていたものの、演奏活動

復帰への展望は依然として靄がかかった状態だった。こういう時は「かねてから

弾いてみたいと思っていた曲をおさらいするのに最適だ」と思い、ラフマニノフの

コンチェルトやショスタコーヴィッチ、メシアンなどの曲を弾きまくっては発散してい

た。

朝、猫を家の中に入れて台所仕事をしていると、彼女はきちんと両手両足を揃え

た『お座り』をして背後に陣取り、野菜を切ったり洗い物をしたり、食器を片付けた

りしている私の動きをじっと観察する。そういう時、脳裏を掠めるのは十年前に亡

くなった母の視線だ。

「この子はこの年になって何をやっているんだかねえ、ちゃんと毎日ご飯を作って

食べているのかねえ」

と、猫の形を借りて様子を見に来た、亡き母の意識だ。


朝の簡単な掃除の時、リビングに差し込む日差しの角度が昨日までのと違うのを

認識すればその日はすなわち彼岸の中日。天気が良ければ、年二回必ず気づく

ほどに明瞭な光と影の変化がおこる。その年のその朝も日差しの角度が作る新し

く懐かしい気配で、季節の逡巡を知った。

当時は、練習の最期にラフマニノフ2番三楽章の最終テーマを口カラオケと共に

♪ジャジャーー♪ジャジャージャジャーーンとぶちかましてすっきりしてから、夕

方、K川の遊歩道まで散歩に行く習慣だった。ピアノと譜面を片付けて閉め切っ

ていた二階の窓を開けると、決まって向かいの家の塀で香箱坐りしているたみ

ちゃんが「にゃあ」と鳴き、自分の存在を教える。少し休憩してから、散歩用の

スニーカーを履いて玄関を出ると、ドアの前で待っていた猫はそのままついて

来る。しかし十歩ぐらい歩いた所でぴたっと止まり、後肢で後頭部を掻いたりし

て休んでしまう。

その場にしゃがんで猫の仕草を眺めていると、またすたすたとこちらに歩み寄って

来る。しゃがんだ私の膝元にすり寄る猫の頭を撫でていると、猫はそのうち道路に

『ごろにゃん』と寝っ転がってしまうので、今度は腹ばいになった猫のお腹をそろそ

ろと撫でる。撫でるのを終えて再び歩き出すと、また十歩くらいはついて来る。

そしてまた止まって、撫でて、『ごろにゃん』して…… の繰り返しで私はなかなか

本来の散歩に出発できない。

しかしどうしても此処から先はついて行けないという限界点があり、そこまで来ると

「じゃあね」と言って猫と別れる。毎日散歩に出る度にその遊びを繰り返していたら

その限界点は少しずつ延びて行き、その日は最高記録に達した。


武蔵野の風情と言われているものはこういう感じかなあと思わせる、『N緑地』

という名前の雑木林一帯を背にして、両側がサトイモ畑になっているアスファル

トの四メートル道路を、猫は私を半ば睨みつけながらついて来る。住宅密集地を

とっくに過ぎて、いつもの限界点をもとっくに過ぎて、下校中の小学生がちらほら

と歩く道を、意を決したような緊張した面持ちでついて来る。

時々は不安そうに立ち止まって、身体を舐め始める。四肢を投げ出し、尻尾を左右

に大きく振って道路に腹ばいになってしまったりもする。その度にしゃがみこんで

は「チッチッチッチッ」と舌打ちして猫の名を呼び、「こっちにおいで」と誘導する。

そんなことを五、六回繰り返し、いつもの十倍くらいは進んだ所で車の往来が多い

道路に突き当たった。猫も私もここまでが限界だと悟った。

猫はきちんと『お座り』をして、歩行を続ける私をその場で見送った。お座りしたま

ま天を仰ぎ「にゃおおーーーーーん」と犬のように一発遠吠えし、来た道を帰って

行った。暫く歩いてから、二度、三度とふり返って様子を見てみると、畑の中を

堂々と突っ切って近道してからアスファルトの四メートル道路に戻り、坂道の途

中で群生している草の匂いを嗅いで、文字通り道草していた。

雄猫は平気で遠出をするらしいが、雌猫はめったに遠くに行かないということを

猫本で読んだばかりでちゃんと戻れるかどうか少し心配だったが、いつもの散歩

コースを終えて帰宅すれば、門脇の塀上に澄ました顔をして座り込んだ彼女が

私の帰りを待っていたのだった。


散歩から戻った後、気が向いた時はたみちゃんを抱いてさらに近所を一周した。

猫は車道に近づくとやはり危険を感じるらしく、いくら「大丈夫だよ」と宥めてもその

道路に近付くともがき始め、腕を爪で引掻き、ロケットのように発射して一目散に

逃げて行く。その足の速さに驚き、

「たみちゃん、ウチまで駆けっこしようか?」

という呼びかけに応えた彼女はやはり勝負にならないほど速く走り、二着の私を

後頭部を掻き掻きしながら得意満面な様子で待っていた。


つづく

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2008.02.18

猫撫で草紙 その7

「猫撫で草紙」の主人公 たみちゃん
当時5歳だったので、今年で13歳かな?
元気でやってるかなあ?
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たみちゃんは昔のこと忘れてしまったかもしれないけれど、
taramama はずーっと覚えているよ。こうしてブログに綴って思い出してるよー!

   そ
     れ
       で
         は
           第 
             7
               話
                 の
                   は
                     じ
                       ま
                         り
                           は
                             じ
                               ま
                                 り  
         


<猫撫で草紙 その7>


庭の百日紅が白い小さな花を次々に咲かせ、蝉の合唱大会が延々と続く中、

私たちは人間と猫の互いの領域を行き来しあい一歩一歩距離を縮めていく。

が、いくら努力したとて、すべてを共有する域には達しないだろう。猫は言葉を

発信しないし、挙動は不思議に満ちているし時には不審でさえある。

たとえば、散歩や買い物の行き帰りに出くわす際、塀の上で香箱坐りをしている

時の素っ気なさといったら無い。だいだいにおいて、

「お宅、どちらさまでしたっけ?」

という顔をされてしまう。

また、彼女と一対一でいるところに近所のおじさんが通りかかり、        

「おや、この猫はいい猫だねえ、アメショーが入ってるねえ」

などと言いながら近付いて来ると、持ち場を離れて所在無さげにうろうろし始め

る。その反対に、誰かとたみちゃんが一緒にいるところに通りかかった時も、バ

ツが悪そうな顔をしてその場を離れようとする。何かしらに気を使っている様子

がありありと伝わって来る。

他の人といちゃついているとやきもちを焼かれると思っているのか?

そもそも猫の辞書に「やきもちを焼く」はあるのか?

それとも猫だからこそ知っているのか?

その資質ゆえに「猫」なのか?


短くても長くても紐に反応することを知ったのは楽しい発見だった。夫が庭木の

剪定をした後、集めた枝をビニール紐で括りつけようとすると、暑さに耐えなが

らじっと夫の動きを眺めていた猫がその紐にじゃれ付き始め、跳ね上がったり

蹴飛ばしたりして異様に興奮しだした。いつまでもいつまでも飽きることなく紐

に突っかかって行く彼女を、こちらも二人して飽きることなく見物した。

なだらかな曲線を描くジャンプ、真剣な表情で、咥えた紐を獲物のようにいた

ぶる仕草、いたぶっていたぶりつくして満足したかのように地べたに背中をこすり

つけ、『ごろごろにゃーん』と愉しげに転げ廻るしなやかで量感のある一連の動き

を、蜃気楼の見えるほどの暑さの中でしばし観賞した。


たみちゃんは孤独だと思う時、孤独な私がいる。

たみちゃんは退屈していると思う時、私は退屈している。

猫を見ていると猫になりたくなる。

日がな一日寝そべっていたくなる。

好きな時に寝て好きなだけ眠って好きな時に起きるとしよう。

猫は猫で人間になりたがっているかもしれない。

人間の方が猫より自由で気ままに見えるかもしれない。

棚の奥や冷蔵庫から美味しいものを出してくる人間を魔法使いだと思っている

かもしれない。

猫が欠伸をするのを見て欠伸をする。

猫がお腹を見せて甘えて来れば、こっちもそっくりその真似をして、

「ごろにゃ~ん」と床に寝っ転がってみせる。

猫は私の顔の匂いを嗅ぎ廻りながら、「よしよし」と言う。

猫はもしかしたら私たち人間よりもずっとずっと大人であるのかもしれない。


人間が猫になりたがっている部分と猫が人間になりたがっている部分が交叉

して、お互いがお互いを動物同士だと認識する。


つづく

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2008.02.14

猫撫で草紙 その6

あくる日の月曜の朝、猫はやはり朝食には来なかった。が、ベランダで毛繕いを

しているのを窓越しに認めた。ゴミ出ししてから戻ると、モンローウォークさな

がら高く上げたお尻を左右にゆさゆさ振りながらBさん宅に向かうところで、

すかさずその尻を追った。

折り良くBさんが玄関先に現れた。猫をシャンプーしたことはさすがに黙っていた

が、ひと月前ほどの『すずちゃんの声が出なくなった事件』について話したところ

「そのようなことは知らない」と言う。

Bさんは八十歳ぐらいの小柄なご婦人。

「猫の面倒は娘が見てますからねえ」

と、いまいち話が要領を得ない。しかし収穫はあった。彼女の名前は『たみ子』

だと教えてくれたのだ。

『たみちゃん』か…… 『すずちゃん』ではないのですね…… 


家に戻るとその様子を見ていたのかもしれない、いや、多分見ていたのだろう隣

宅のKさんに呼び止められる。Kさん宅では『猫による被害』がひどいらしい。

たみちゃんを筆頭に近所の外猫さん、または野良猫たちがトイレの場所と決めて

しまったらしいのだ。また、Mさん宅で飼っていた小鳥が襲われたとか、Nさん宅

のお兄ちゃんが腕を噛まれて怪我をしたとか、たみちゃんの『度が過ぎる悪戯』の

数々を教えられてしまった。猫が悪いと言っているのではなくて、「エサだけあげ

て後はほったらかしている」飼い主さんを責めているのがせめてもの慰めでは

あったが。

猫はその後リビングの窓にやって来たが、既に朝食の時間は二時間も過ぎてい

たので食事は出さなかった。

「たみちゃん」

と呼びかけると、

「にゃあ」

と返事をした。続いて、

「すずちゃん」

と呼ぶと同じ様に、

「にゃあ」

と応えた。

「たみちゃん、昨日はごめんね」

と言うとやはり

「にゃあ」

と鳴いた。

そして暫くその場所で佇んでいたが、気がつくといなくなっていた。車の下には

猫じゃらし草が再び敷き詰められている。


次の日の朝からまた朝食をねだりにやって来るようになった。『猫は三歩歩くと

飼い主への恩を忘れる』と聞いたことがあるが、シャンプーされたこともすっか

り忘れてくれたのだろうか。


つづく

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『すずちゃん』ならぬ『たみちゃん』の写真が出てきたのでアップします
Photo
夏の夕暮れ、車の上でおしゃべり中

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2008.02.11

猫撫で草紙 その5

『ビギナーズラック』とは、その発想が無心のものだけに、計り知れない大きな

力が作用して成し遂げられてしまうもの。

しかしその反面、無知や経験不足ゆえの大失敗とも隣り合わせ。

         
残暑の朝、猫に牛乳とパンを食べさせた後、急に思いついてシャンプーすること

にした。日曜日で夫はまだ起きて来ない。朝食の仕度にとりかかる前に猫を洗う

のも夏の風物詩だなあ、と暢気に構えながら猫を抱いて浴室に連れて行き、

猫用シャンプーはもちろん無かったので人間用ボディシャンプーを極薄で使うこと

にした。最初のうちは「何が始まるのだろう」と、興味津々に目を輝かせていた

猫も、シャンプー入りぬるま湯のバケツに入れられた途端、とんでもない声を上げ

て鳴き喚き出した。こんなにまで厭がられるとは予想だにしていなかった私は

突如パニックに陥った。猫を洗うのは初体験だったが、おそらく猫の方でも生ま

れて初めてだったに違いない。良かれと思ってやったことも、猫にとっては虐待

以外の何ものでもなかったのだ。必死に逃げ場を求め、浴室の網戸に跳びつい

て、例の如く全部の爪を剥き出しにしてへばりついてしまった。

へばりついていようと思えばいつまででもへばりついていられそうな馬鹿力。

へばりつきながらもこちらをふり返り、鋭い目つきで睨みつけ、今まで一度も聞い

たことの無い『獣の声』で抗議の叫びをあげる。太くて大きくて腹の底から絞り出す

ような、威嚇するような哀れみを請うような、鳴くというより吼えると言った方が妥

当な獣の声を出して、身体全身で抵抗する。しかし、シャンプーをつけてしまった

ものだから何としてもすすがなくてはいけない訳で、爪を立てている彼女をむんず

と捕まえて必死に網戸から引き剥がし、まさに火事場の馬鹿力で左手に猫、

右手にシャワー、丹田に力をこめて作業を続行した。こんなに恐い顔をされたのは

初めてだ。こんなにけたたましく恐ろしい鳴き声を聞いたのも初めてだ。鳴き声を

我慢しながら何とかすすぎ終え、用意してあったバスタオルとドライヤーで乾かす

こと数秒、火事場の馬鹿力はとうとう尽き果てて猫を放さざるを得なかった。

やっと解放された猫は一目散に玄関まで突っ走り、突っ走っていく猫をふらふら

しながら追いかける。立ち往生している猫のために玄関のドアを開けると、彼女は

ずぶ濡れのままでそそくさと出て行ってしまった……

猫に取り残されてしばらくの間、放心状態でその場に座り込んだ。びしょ濡れ、

毛だらけになったタンクトップと短パンを呆然と眺めながら、取り返しのつかない

失敗をしてしまったという後悔の念が一気に襲ってきた。

二度と彼女は遊びに来ないだろう、

二度と朝ごはんを食べにやって来ないだろう、

二度と、二度と……


後日、この話を友人に打ち明けると返ってきたコメントはただの一言、

「あったりまえじゃないの、ネコは水が大っ嫌いなんだから」

水が嫌いなんてことさえ知らなかった……

ビギナーズラックと隣り合わせの、無知から来る大失敗。

ビギナーズアンラック……


つづく

猫撫で草紙 その6へ

…と思いきや今日はエンディング付き~

炬燵猫たらリン
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春はまだまだですにゃ~


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2008.02.07

猫撫で草紙 その4

昨日も少し雪が降りましたが本日は快晴にゃり。
春はもうすぐ、ですね。
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            そ
            れ
            で            
            は
            つ
            づ
            き
            を
            は
            じ
            め
            ま
            す


<猫撫で草紙 その4>


毎朝通って来るようになったので、何となく『食べそうなもの』を前の晩のうちに

用意しておくようになった。焼き魚の皮とか煮崩れた煮魚のかけらとか蒲鉾の

一片とか。一度、適当な食べ物が見当たらなくて、味噌汁をご飯にかけただけの

元祖『ねこまんま』を出したことがあった。

食べた。

もしかしたら彼女の方でも信頼関係を築くべく、精一杯努力していたのかもしれ

ない。今どきの猫が味噌汁とごはんを食べるとは少しばかり驚きだった。しかし、

クリームシチューの汁は全然受け付けなかった。少しの間、匂いを嗅いでいたが、

こちらの顔さえ見ずにそっぽを向いて立ち去られた時のショックは大きかった。

何を食べて何を食べないかに興味を持つよりもちゃんとお食事させなきゃと改心

し、猫用のカリカリタイプを買って来るようになるまでそう時間はかからなかった。


そんな毎朝の彼女の朝食姿を、一匹の雄猫が、道路を挟んだ向かい側からじっと

見張っていることがあった。顔は傷だらけだが野良にしては体格の良いトラ君。

そんな時は気が散ってしまうのだろうか、途中で食べるのを止めてしまい、庭の

隅にある電気温水器の陰の隙間にそそくさと隠れてしまう。トラ君は食事が目当

てらしく、すずが身を隠してしまうと皿にダッシュして来てがつがつと平らげて行く

のだった。なるほど野良猫たちはこうやって飢えを凌いでいるのだなあ、と知る。

よく見ると人間の顔にも似たその野良猫に見張られる事も無く、優雅に食事を

済ませられた時は必ず、にゃおにゃお鳴きながら網戸に爪を立てて家の中に入り

たがった。簡単な掃除の最中、手元の雑巾で四本の足裏をしっかり拭いてから、

少しの間リビングを歩かせた。猫としては大いに迷惑だったろうけれど、どうしても

足の裏だけは綺麗にしてから入って欲しいのは日本人だからしょうがない。

しかし、いつもいつも彼女の願いを聞き入れられる訳では無く、そういう時猫は、

いつまでも網戸を引っ掻いてアピールした。それでも要求が通らないと見ると、

何と二メートル近くもジャンプして網戸にしがみ付くというパフォーマンスを披露す

る。五秒間ほどしがみ付き、左右を確認し、着地点をきちんと見据えてから飛び

降りる。それを三回は繰り返す。網戸にガシッとしがみ付き、ガタガタガタッとかな

り近所迷惑な音を出されると脅されてる気がする。家の中に入るために邪魔な網

戸をはずそうとしているのだろうか?

四本肢の爪全部を使って自分自身を支え続ける五秒間、こちらに見せるお腹の

平面積はけっこう大きくて迫力満点。


でも、あれれれ……、 ここは動物園だったっけ?

つづく

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2008.02.04

猫撫で草紙 その3

<猫撫で草紙 その3>へのイントロ

昨日は大雪。
窓からの眺めはこんなんでした。
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それでは8年前の夏へ、、、たいむすりっぷ~
           

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<猫撫で草紙 その3>


盂蘭盆も過ぎ残暑の日々を過ごす頃から、すずは毎朝、寸足らずレースが架かっ

ている掃きだし窓にやって来るようになった。Bさんの家から三軒分の屋根を飛び

越えてベランダ経由、百日紅の木を伝って塀に着地というコースでドタバタッと

派手な物音を立てながらやって来ることもあれば、シャンシャンシャンシャンと

首輪の鈴を鳴らして『速足』の軽快なテンポで機嫌良さげに訪れることもある。

屋根の上で寝ていることもあるらしく、目覚まし時計のベルに飛び起きたのか、

ドタドタドタバタッという音をさせてから車の上にむささびの如くバサッとジャ

ンプして、目覚ましの音よりけたたましく登場することもあった。朝一番に開ける

のは、例の『寸足らずのレース』が架かっているリビングの窓なので、窓が開く前

には必ず待っているようになった。朝が苦手でいつもぎりぎりまで寝ていたいと

願うそれまでのライフスタイルは、それで激変した。彼女が必ずやって来るのが

嬉しくて、目覚ましの鳴る前でも気配を感じるとしゃきっと起きてしまうように

なった。


すずはいつも『お座り』をしながら、カーテンを開ける私を見上げ、窓が開くのを

待っている。窓が開くと四つ足になって「にゃおわん」と挨拶する。

そして、何度も向きを変えては、窓の木枠に顔や胴体をこすりつけてニ、三歩

行ったり来たりする。行ったり来たりして向こう側を向いた時は、わりと長い

尻尾を真っ直ぐに撥ね上げてその肛門をしっかり見せつける。

頭を撫でると直ぐに寝っ転がってしまい、お腹と顔を空に向ける。

ふわふわした柔らかいそのお腹を撫でさせてもらうと、右に左に身をよじって

喜んだ。朝の挨拶以外でも、道路の掃き溜まりなど場所を選ばずに

どこでもかしこでも『ごろにゃん』と寝っ転がってしまうので、ベランダとか玄関

口とか、車の為の『歩道上がり』の隙間とか、いわゆる外回りの掃除に励む

ようにもなってしまった。すずちゃんにはできるだけ綺麗な場所で『ごろにゃん』

してもらいたいから。


ある朝、その『外回りの掃除』の最中、車の下に数十本の猫じゃらし草を見つけ

て不審に思った。正確には『えのころぐさ』と名前がついているらしいそれらは、

寝床のように敷かれていて、既に何かが寝た形跡があったのだ。箒と塵取りでそ

れらを集めていたところに、まさにその『えのころぐさ』を二、三本咥えた彼女が

やって来た。

猫が巣作りするとは驚いた。暑い日中、日を除けて車の下に寝そべっているのは

知っていたが、砂利を敷き詰めただけの庭は寝心地が悪かったのか。塵取りに集

めた数十本の『えのころぐさ』はもちろん全部元に戻す。

しかしどこから取って来るのだろう? それよりも、猫ってこんなに賢いのか?


毎日、何かしら彼女の行動に驚かされている。毎日少しずつ、猫のことを考える

時間が増えている。私のテリトリーに、ひとつひとつ猫の足跡が付けられていく。

それと同時に、毎日少しずつ彼女の案内は進んでいく。

彼女の領域に

ひたひたひたと

招き寄せられていく……


つづく

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