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2008.04.10

猫撫で草紙 その21

<その21>


十九世紀初頭のドイツ。

ベートーヴェンの「運命」は「ジャジャジャジャーン」と玄関のドアを叩いてベー

トーヴェン宅にやって来たのかもしれないが、二十一世紀なりたての、春愁で

ふさぎ気味で隙だらけの日々を過ごしていたその日、新しい出会いは「ウー

ウーウーウー」と言ってやってきた。


家事もピアノの練習もその他もろもろも、毎日の習慣の中で繰り返していると

煮詰まってしまう時が来る。気晴らしに『ぶらり途中下車の旅』にでも出かけれ

ば塞ぎの虫も吹っ飛んでしまうかもしれないが、極稀に、とことん塞ぎの虫に

取り付かれてみたくなる厄介な場合もあり、その春は後者だった。

新しい曲が書けた時や、「これはイケるかも!」というアイデアがひらめく瞬間

に至る数日間をこういう状況で過ごすことも多かったので、別段気落ちすること

無く遣り過ごせるようにはなってはいたが、やはり、どうにもこうにも鬱陶しい。

そしてその日は春というより五月の初め。夫は仕事が忙しい時期で、帰宅が夜の

十一時を過ぎる日が続いていた。テレビも観ず、一人で夕食を摂っていた八時頃、

かすかな唸り音が気になった。

外は静かな雨が降ったりやんだりしていて少し肌寒い。最初、その唸り音は冷蔵

庫だと思った。電気製品は思った以上にその寿命が短かったり、また次々に

新製品が開発されて私たち消費者をそそるが、買い替え時にはその性能や特徴

を分厚いマニュアルで勉強しなくてはならなかったり、粗大ゴミの手続きをしなくて

はならなかったりで結構面倒だ、よほどの事がない限り古くても使える物は長く使

いたいものだ、でもこの冷蔵庫もそろそろ寿命なのかなあ? 何年ぐらい使ったか

なあ? 何時何処で買ったんだっけ? 唸り音が大きくなって壁や床に振動して、

ある日突然ショートとかしちゃって壊れるのかなあ? ひぇ~危険だなあ~ 

などと冷蔵庫の最期をとりとめもなく考える。暫くすると音が止むので、あんまり

ひどくなったら近くの電器屋さんに相談しよう、などとまとめていると、またウーウー

ウーウーウーと唸る。

食事の後片付けのためキッチンに立つと、どうやらその唸り声は外から聞こえて

くるのだ。冷蔵庫の唸り音のような、低い微かな振動のある声が。

猫たちが外でいちゃついているのかな? とキッチンのサッシを開けて、

「たみちゃん?」

と呼びかけると、サササササッと何者かが驚いたように咄嗟に身を隠した。

暗がりの中、目を凝らして見てみると、粗大ゴミとして勝手口外に出してある

古いスチール製の棚の陰から、見知らぬ猫の両目が輝いていた。

「たみちゃんじゃないのかな?」

と呟きながらサッシを閉じてキッチンに戻ると、再び唸り声が始まる。

開けるとまたもやサササササッと身を隠す。

一旦サッシを閉め、眼鏡をかけてからじっと様子を窺うと、白黒の小さな猫が

蹲ってこちらを睨んでいる。

どうしたんだろうと思い、またもやサッシを開けると逃げてしまうので、それこそ

達磨さんがころんだ状態になってしまう。

野良ちゃんかな? お腹が空いているのかな? 

今夜は雨がしとしと降っていて寒いねえ。

たみちゃんが好き嫌いするようになってしまってたくさん余っているカリカリ餌を、

小さいお皿に載せて出してみる。もちろん出した後はささっとサッシを閉める。

おそるおそる近付いた小さな猫はカリカリ餌をガリガリ言わせて一気に平らげ

てしまった。

野良ちゃんなのかなあ、もっとお食べ、今夜はたみちゃんも来ないし淋しかった

んだよー。

お替りの量を少し奮発して出してからサッシを閉める。サッシが開く度に物陰に

隠れてしまうから。

お替りもまたガリガリ言わせて必死に食べている。食べ終わると隠れる。

たみちゃん用の水飲み茶碗に水を入れて、それと共に三杯目を出す。

また平らげた。

三杯目を平らげた後はサササササッと逃げずにサッシ越しに窺っている私を

見上げた。

たみちゃんよりずいぶん小さいが、仔猫の小ささではない。白黒柄で目の大き

な、印象的な顔立ち。昨日の朝、久々に泊まっていったたみちゃんが朝帰りす

る時、車の陰でもぞもぞしていた猫かもしれない。もぞもぞしながら車の陰から

出てきて、暫したみちゃんと睨み合っていたあのちっちゃい猫かもしれない。

静かにサッシを開けるとその猫はもう逃げなかった。するするするとキッチン

の中に入って来て、

「あーっ」と鳴いた。

四杯目のお替りをキッチンの中でたらふく食べ、水もいつまでも飲み続け、

その光景を床に腰を下ろして眺めた。やっとお腹がいっぱいになったらしい白黒

猫は、はっと気付いたように駆け寄って来て、

「ずっと会いたかったんだよー」

みたいな興奮状態で床に座り込んだ私の顔をぺろぺろ舐め始めた。

その嬉しくて嬉しくてたまらない様子に驚かされると同時に参ってしまい、猫に

顔を舐められるのは正直得意ではないのだが、ここは舐めたいだけ舐めさせた。


カリカリ餌をバクバク食べ続け、舌を何度も何度も往復させて水を飲み、再び

かりかりがりがり食べ始め、漸くお腹がいっぱいになって満足した猫は、シンク

下の扉を背にして座り込んだ私の胸に前肢を乗せて迫り、感謝の念を表す、

人間でいえばキスの嵐のようなぺろぺろ攻撃をこれも気の済むまで延々と続け、

やっと満足したのか、舌なめずりをしながら四肢に戻った。

四肢に戻ってキッチンからリビングをゆっくり見学するように歩く。

歩きながら「アッアーー」と高低の抑揚をつけた機嫌の良い声で、唄うように

鳴いた。たみちゃんよりも細くて高い声だ。たみちゃんの発声はオペラ歌手の

腹式呼吸のように深く、よく響く声だが、それに比べると、喉から出しているよう

な詰まった感じの、いわばアイドル歌手っぽい発声。

暫くそのまま遊ばせているうちに夫が帰宅した。夫は、たみちゃんとは違う猫が

ソファーで寛いでいるのでびっくりした。びっくりしてから、

「うわっ、こいつ何? かわいいじゃん!」

と顔を綻ばせた。が、事情を話すと、

「また、Bさん宅の猫なんじゃないの?」

と訝しがった。

たみちゃん用のトイレをセッティングして泊めるつもりでもいたのだが、雨上がり

の夜中、その猫は「お家にお帰り」と言われて外に出された。

Bさん宅の猫なら帰るだろうと想定して……


つづく


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長文になってしまいましたが最後まで読んでくださってありがとうございます。
ネタばれ済みですがどうぞつづきもお楽しみに!


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Comments

たらちゃん登場ですね。

猫に選ばれるっていうのはいいですね~。

はづきさん、こんにちは。
「猫撫で草紙」をお読みいただきありがとうございます。
taramama はお仕事一段落ついたので(実はすんごく忙しかった
らしいです)、もうすぐコメレスも書くようになると思います。


>猫に選ばれるっていうのはいいですね~。

選んだというか、あれですにゃ、隙をついたのですにゃ(笑)

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